・大量の情報が無料化したことで、オフラインでしか得られない情報の価値が上がっている
 ・「その人にしか持っていない情報」や「その本でしか読めない情報」など
 ・人に会って話したり、書籍を読むことがネット入手できるものよりも重視するべき情報
Notes left behind....からリブログ

「もうキャラを分けざるを得ないと思ったんですよね。今度、内田樹さんとの対談で『イワシ化』という言葉を使っているんですが、人間はどんどんイワシになっていくんですよ。

 イワシっていうのは、中心がとくにないけど群れていきてますよね。群れて生きててすごい勢いでウネがぐわーっと回転して解散してまた他のところで群れつくりますよね。

 それと同じように、僕らも、偶発的な事件があると、ぐわーっと回るんですね。イワシなんですよ。何か中心にポリシーがあると思ったら間違いなんですよ。そうじゃなくて今ある祭りみたいなものでどんどん加速して一緒になって泳いで距離をつめることしか考えていない。イワシのボールが小さくなってぽっと解散して次の群れをつくるんです。どんなイワシもイワシの群れに属していて同じ群れに属するわけではない。それが現代の社会です。

 ネットでどんどん情報が早くなっていてイワシのように水温や臭いとかで近くのイワシを感知してみんなのいるところへ素早く行って祭りに参加するという。

 『僕たちの洗脳社会』を書いたときはそこまでの状況は見えてなかったんです。当時はたくさんの価値観が出てきて、価値観がころころ変わっていくんだろうと思っていたんですが、今、状況はもう1段すすんで、みんながイワシ化のほうにいっている。イワシは10分前にどの群れにいたのか覚えていないんです。

 あるときはアンチ韓国になり、あるときはK-POPアイドルに傾倒し、あるときはネット右翼になり、あるときは急に左翼的なことを言ったりすることに関して、それまでの社会だったら昨日までとオレ言ってること違うじゃんとなるわけですが、イワシだからそれがないんですね。それが当たり前の社会になっていく」

Notes left behind....からリブログ

文章の中の、ここの箇所は切り捨てたらよいものか、それとも、このままのほうがよいものか、途方にくれた場合には、必ずその箇所を切り捨てなければいけない。いわんや、その箇所に何か書き加えるなど、もってのほかというべきであろう。


これは、極上の文章上達法というか、小説家でなくても、書類やメールを書く、あらゆる職業人に通じる戒めになる。かくいう私は、太宰治が言う「もってのほか」をよくやってしまって字数オーバーになる物書きなので、改めて肝に銘じることにする。

ところで、太宰治が書いたこの文章には小見出しがついている。
それがまたすごい。
一切のムダがそぎ落とされている。

兵法。

太宰治にとって、「途方にくれた場合には、必ずその箇所を切り捨てなければいけない」は文章を書くうえでの兵法だったのだ。

Notes left behind....からリブログ

初めまして、俳優をしております渡辺謙と申します。

 まず、昨年の大震災の折に、多くのサポート、メッセージをいただいたこと、本当にありがとうございます。皆さんからの力を私たちの勇気に変えて前に進んで行こうと思っています。

 私はさまざまな作品の「役」を通して、これまでいろんな時代を生きて来ました。日本の1000年前の貴族、500年前の武将、そして数々の侍たち。さらには近代の軍人や一般の町人たちも。その時代にはその時代の価値観があり、人々の生き方も変化してきました。役を作るために日本の歴史を学ぶことで、さまざまなことを知りました。ただ、時にはインカ帝国の最後の皇帝アタワルパと言う役もありましたが…。

 その中で、私がもっとも好きな時代が明治です。19世紀末の日本。そう、映画「ラストサムライ」の時代です。260年という長きにわたって国を閉じ、外国との接触を避けて来た日本が、国を開いたころの話です。そのころの日本は貧しかった。封建主義が人々を支配し、民主主義などというものは皆目存在しませんでした。人々は圧政や貧困に苦しみ生きていた。私は教科書でそう教わりました。

 しかし、当時日本を訪れた外国の宣教師たちが書いた文章にはこう書いてあります。人々はすべからく貧しく、汚れた着物を着、家もみすぼらしい。しかし皆笑顔が絶えず、子供は楽しく走り回り、老人は皆に見守られながら暮らしている。世界中でこんなに幸福に満ちあふれた国は見たことがないと。

 それから日本にはさまざまなことが起こりました。長い戦争の果てに、荒れ果てた焦土から新しい日本を築く時代に移りました。

 私は「戦後はもう終わった」と叫ばれていたころ、1959年に農村で、教師の次男坊として産まれました。まだ蒸気機関車が走り、学校の後は山や川で遊ぶ暮らしでした。冬は雪に閉じ込められ、決して豊かな暮らしではなかった気がします。しかし私が俳優と言う仕事を始めたころから、今までの三十年あまり、社会は激変しました。携帯電話、インターネット、本当に子供のころのSF小説のような暮らしが当たり前のようにできるようになりました。物質的な豊かさは飽和状態になって来ました。文明は僕たちの想像をも超えてしまったのです。そして映画は飛び出すようにもなってしまったのです。

 そんな時代に、私たちは大地震を経験したのです。それまで美しく多くの幸を恵んでくれた海は、多くの命を飲み込み、生活のすべてを流し去ってしまいました。電気は途絶え、携帯電話やインターネットもつながらず、人は行き場を失いました。そこに何が残っていたか。何も持たない人間でした。しかし人が人を救い、支え、寄り添う行為がありました。それはどんな世代や職業や地位の違いも必要なかったのです。それは私たちが持っていた「絆」という文化だったのです。

 「絆」、漢字では半分の糸と書きます。半分の糸がどこかの誰かとつながっているという意味です。困っている人がいれば助ける。おなかがすいている人がいれば分け合う。人として当たり前の行為です。そこにはそれまでの歴史や国境すら存在しませんでした。多くの外国から支援者がやって来てくれました。絆は世界ともつながっていたのです。人と人が運命的で強く、でもさりげなくつながって行く「絆」は、すべてが流されてしまった荒野に残された光だったのです。

 いま日本は、少しずつ震災や津波の傷を癒やし、その「絆」を頼りに前進しようともがいています。

 国は栄えて行くべきだ、経済や文明は発展していくべきだ、人は進化して行くべきだ。私たちはそうして前へ前へ進み、上を見上げて来ました。しかし度を超えた成長は無理を呼びます。日本には「足るを知る」という言葉があります。自分に必要な物を知っていると言う意味です。人間が一人生きて行く為の物質はそんなに多くないはずです。こんなに電気に頼らなくても人間は生きて行けるはずです。「原子力」という、人間が最後までコントロールできない物質に頼って生きて行く恐怖を味わった今、再生エネルギーに大きく舵を取らなければ、子供たちに未来を手渡すことはかなわないと感じています。

 私たちはもっとシンプルでつつましい、新しい「幸福」というものを創造する力があると信じています。がれきの荒野を見た私たちだからこそ、今までと違う「新しい日本」を作りたいと切に願っているのです。今あるものを捨て、今までやって来たことを変えるのは大きな痛みと勇気が必要です。しかし、今やらなければ未来は見えて来ません。心から笑いながら、支え合いながら生きて行く日本を、皆さまにお見せできるよう努力しようと思っています。そしてこの「絆」を世界の皆さまともつないで行きたいと思っています。

小鳥メモメモからリブログ

高1の俺に初めて同い年の彼女が出来た
年頃の俺は色々妄想していた
そんなある日彼女からメールが来て「うちに遊びに来ない?親居ないからいいよ」
俺は興奮した頭がおかしくなりそうだった
メールだけで勃起した
体を入念に洗いコンビニで一丁前にゴムも買って財布に忍ばした
勃起しながら立ち漕ぎで彼女の家に向かった
彼女の家に着いて連絡を入れ、チ○コに頼むぞと一声掛け、いざ玄関のドアを開けた…
「お邪魔します」


リビングから弟妹5人が走って来た

Notes left behind....からリブログ

 ’80年代後半、村上春樹の小説『ノルウェイの森』がベストセラーになったとき、批評家たちが彼に投げつけた罵倒のすさまじさを僕はよく覚えています。それは一人の若くして成功した作家に対する、組織的な呪いでした。

 辛辣な批判を加えた人々は、それによってさらに質の高い作品を作家が生み出すだろうと期待してそうしたわけではありません。作家に二度と立ち上がれないほどの傷を負わせるためにそうしていたのです。

 このとき村上は、反批判を自制し、外国に移住して呪いから逃れ、その才能を守りました。これは正しい選択だったと思います。「邪悪なもの」を本能的に避ける能力は、彼の作家的天才の一部だと僕は思います。

Notes left behind....からリブログ

マック、隣の会話。
「メール返信しないことで嫌だってこと気づけよって感じ」
「女子からは言えないよねー」
「普通は気づくよね」

話は変わり
「彼から連絡来なくなった」
「えー」
「何でかわかんない」
「話しなくちゃ人には伝わらないよね」
「うん」

彼女らは自分が何を話しているのか理解してないようだ。

amehare (via twinleaves) (via pdl2h) (via bardiche-side-b) (via gkojax) (via rosarosa)

2010-04-09

(via rosarosa-over100notes) (via mcsgsym)

(via toronei)

わけのわからんオバチャンがいるが、最初からそうだったんだね。

(via bgnori) (via nunnungogo) (via oyaki) (via happywing)

(via tataraseitetsu) (via edieelee) (via shigesa)

MCSG SYMからリブログ
itokonnyaku:

001 【だん吉】 (2011/11/24(木) 15:52:51 ID:.E7lqvvmRE) 
焼け野原に裸足の少年が立っている。
おんぶひもで背負った赤ん坊は、すでに息がない。 
幼い兄は、川のほとりで小さい弟を焼いてもらうため、じっと順番を待っているところだ。 
きつく結んだ口もと、正面を見据える目、ぴんと伸びた指先。 
原爆投下後の長崎で、米軍カメラマンのオダネル軍曹が撮った有名な写真は、人種も言葉も超えて万人の胸を打つだろう。 
と思ったら、それは甘かった。
スイス・ジュネーブの国連欧州本部に11日新設された原爆常設展示。 
準備段階で長崎市がこの写真を提案したところ、国連職員たちの委員会審査であっけなく却下された。 
「直立不動の姿勢が軍隊みたいだ」「この子は悲しいのに泣いていないじゃないか」。
そんな物言いがついたらしい。 
そもそも長崎市は「まず被爆の悲惨さを知ってほしい」(田上富久市長)と考え、背中一面焼けただれた写真など十数点を用意したが、国連側から「子供の見学者も来るので、ショッキングな内容は困る」と退けられた。 
焼き場の少年の写真は窮余の一策だったが、それもダメだという。 
やり取りを交わすうち、国連内の議論の実情が漏れ伝わった。 
「悲惨な目に遭ったのは原爆だけじゃない」
「ホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)の常設展も申請がある」
「南京虐殺はどうなる」……。 
結局、全体は国連の軍縮・核不拡散の歩みを紹介する展示となり、原爆の記述は11枚のパネルのうち2枚にとどまった。 
使われた写真は、広島・長崎の焼け跡と、衝撃度の少ない被爆者の後ろ姿の3枚である。 
他の惨事と比べられない被爆の特殊性。
表に出さないほどに深い悲痛。
どちらも日本の常識が、国連では通じない。 
それを分からせるのが外交だが、事のてんまつに、なぜか外務省は登場しない。 
http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111123k0000m070118000c.html 

005 名無しさん (2011/11/24(木) 16:05:44 ID:dONjKeLvlw) 
>国連職員たちの委員会 
なんやキムチくさい連中で固まっとんちゃうんか?

009 関白宣言  (2011/11/24(木) 16:15:27 ID:t6iqfppwXo) 
戦争を味わって、親兄弟を亡くした人間の強さを舐めすぎ。 
泣いてばかりで飯が食えるか?残された家族を守れるか?幸せになれるか? 
どうせこの委員の奴らは戦争の事を何もわかってない能天気野郎ばっかにきまってら。

011 名無しさん (2011/11/24(木) 16:32:19 ID:3X1KU/0ABo) 
嘘が次々とバレてる南京虐殺なんか知ったこっちゃねーよw
少年の写真、国連常設展示を却下…「軍隊みたい」「泣いてない」「悲惨なの原爆だけじゃない」「南京虐殺」

itokonnyaku:

001 【だん吉】 (2011/11/24(木) 15:52:51 ID:.E7lqvvmRE) 

焼け野原に裸足の少年が立っている。

おんぶひもで背負った赤ん坊は、すでに息がない。 

幼い兄は、川のほとりで小さい弟を焼いてもらうため、じっと順番を待っているところだ。 

きつく結んだ口もと、正面を見据える目、ぴんと伸びた指先。 

原爆投下後の長崎で、米軍カメラマンのオダネル軍曹が撮った有名な写真は、人種も言葉も超えて万人の胸を打つだろう。 

と思ったら、それは甘かった。

スイス・ジュネーブの国連欧州本部に11日新設された原爆常設展示。 

準備段階で長崎市がこの写真を提案したところ、国連職員たちの委員会審査であっけなく却下された。 

「直立不動の姿勢が軍隊みたいだ」「この子は悲しいのに泣いていないじゃないか」。

そんな物言いがついたらしい。 

そもそも長崎市は「まず被爆の悲惨さを知ってほしい」(田上富久市長)と考え、背中一面焼けただれた写真など十数点を用意したが、国連側から「子供の見学者も来るので、ショッキングな内容は困る」と退けられた。 

焼き場の少年の写真は窮余の一策だったが、それもダメだという。 

やり取りを交わすうち、国連内の議論の実情が漏れ伝わった。 

「悲惨な目に遭ったのは原爆だけじゃない」

「ホロコースト(ナチスのユダヤ人大虐殺)の常設展も申請がある」

「南京虐殺はどうなる」……。 

結局、全体は国連の軍縮・核不拡散の歩みを紹介する展示となり、原爆の記述は11枚のパネルのうち2枚にとどまった。 

使われた写真は、広島・長崎の焼け跡と、衝撃度の少ない被爆者の後ろ姿の3枚である。 

他の惨事と比べられない被爆の特殊性。

表に出さないほどに深い悲痛。

どちらも日本の常識が、国連では通じない。 

それを分からせるのが外交だが、事のてんまつに、なぜか外務省は登場しない。 

http://mainichi.jp/select/opinion/hasshinbako/news/20111123k0000m070118000c.html 



005 名無しさん (2011/11/24(木) 16:05:44 ID:dONjKeLvlw) 

>国連職員たちの委員会 

なんやキムチくさい連中で固まっとんちゃうんか?



009 関白宣言  (2011/11/24(木) 16:15:27 ID:t6iqfppwXo) 

戦争を味わって、親兄弟を亡くした人間の強さを舐めすぎ。 

泣いてばかりで飯が食えるか?残された家族を守れるか?幸せになれるか? 

どうせこの委員の奴らは戦争の事を何もわかってない能天気野郎ばっかにきまってら。



011 名無しさん (2011/11/24(木) 16:32:19 ID:3X1KU/0ABo) 

嘘が次々とバレてる南京虐殺なんか知ったこっちゃねーよw

少年の写真、国連常設展示を却下…「軍隊みたい」「泣いてない」「悲惨なの原爆だけじゃない」「南京虐殺」

オッさんのTumblr.からリブログ